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チェッカーズの解散理由は?メンバーが死亡したって本当?人気曲も紹介

チェッカーズの解散理由は?メンバーが死亡したって本当?人気曲も紹介

チェックの衣装に身を包み、テクノカットで決めた7人の若者たち。 1983年のデビュー以来瞬く間にトップアイドルへと駆け上がったチェッカーズ。しかし、最後の紅白歌合戦でのステージを最後に、彼らが7人で同じステージに立つことは二度とありませんでした。あれから30年以上が経った今、チェッカーズの解散理由と、その後のメンバーの運命について掘り下げていきます。

チェッカーズ解散の本当の理由とは

チェッカーズの解散理由については、公式には「メンバーそれぞれの道を進むため」といったポジティブな理由が語られることもありましたが、実際にはもっとドロドロとした確執があったことが、後にメンバー自身の口から語られています。

一体チェッカーズのメンバーにどんな事があったのか、解散に至った主な原因は、大きく分けて2つあると言われています。

オリジナル曲への移行と格差

デビュー当初のチェッカーズは、売野雅勇さんや芹澤廣明さんといったプロの作詞家・作曲家が手掛けた楽曲を歌っていました。「涙のリクエスト」や「ジュリアに傷心」などの大ヒット曲は、すべてこの提供曲です。しかし、アーティスト志向の強かった彼らは、徐々に「自分たちで作った曲を歌いたい」という欲求を持つようになります。

そして活動中期から後期にかけて、メンバー自身が作詞作曲を手掛ける方向へ移行しました。これにより、バンドとしての音楽性は高まりましたが、同時にメンバー間に「格差」が生まれることになります。

印税によりメンバーが反発

曲が採用されるメンバー(主に藤井フミヤさんなど)には莫大な印税が入りますが、そうでないメンバーには入らない。また、楽器を持たないサイドボーカルの高杢禎彦さんと鶴久政治さんの役割が、オリジナル曲になるにつれて減少していったことも、バンド内のバランスを崩す要因となりました。

特に、メインボーカルで作詞も手掛けるフミヤさんの発言力が強くなり、それに反発するメンバーとの間に溝ができたと言われています。

メンバーが死亡したというのは本当?

チェッカーズのメンバーが死亡という検索ワードを見るとドキッとする方も多いでしょうが、残念ながらこれは事実です。 チェッカーズのドラマーとして、その愛くるしいキャラクターで「クロベエ」の愛称で親しまれていた徳永善也さんが、2004年に亡くなっています。

何故徳永さんが無くなったのか、その理由や内容は以下の通りです。

徳永善也(クロベエ)の早すぎる死

2004年8月17日、徳永善也さんは舌がんのため、40歳という若さでこの世を去りました。彼はバンド内でもムードメーカー的な存在で、メンバー全員から愛されていました。解散後も音楽活動を続け、フミヤさんのライブに参加するなど、精力的にドラムを叩いていました。

しかし、病魔は彼を襲いました。舌がんが発覚した時にはすでに進行しており、闘病生活の末、帰らぬ人となりました。彼の死は、ファンだけでなく、かつてのメンバーにも大きな衝撃を与えました。

葬儀で浮き彫りになった溝

クロベエの死という悲しい出来事は、バラバラになったメンバーを再び結びつけるきっかけになるのではないかと、多くのファンが淡い期待を抱きました。しかし、現実は残酷でした。徳永さんの「お別れの会」の発起人を務めたのは、フミヤさんら4人のメンバーでした。一方、高杢さんと鶴久さんは発起人に名を連ねておらず、一般の参列者と同じように扱われたと報じられました。

報道陣の前で、高杢さんが「最後くらい7人で送りたかった」と悔しさを滲ませて語った姿は、確執の根深さを世間に知らしめることとなりました。

チェッカーズが残した名曲たち

チェッカーズの解散理由や悲しい別れはありますが、彼らが残した音楽の輝きは今も色褪せていません。アイドル的な人気と本格的なバンドサウンドを融合させた彼らの楽曲は、J-POPの歴史における重要なマイルストーンです。ここでは、特に人気の高い代表曲をいくつか紹介します。

まずは記念すべきデビューシングル「ギザギザハートの子守唄」です。「ちっちゃな頃から悪ガキで 15で不良と呼ばれたよ」という衝撃的な歌詞と、サックスをフィーチャーした哀愁漂うメロディは、当時の歌謡界に強烈なインパクトを与えました。

涙のリクエスト(1984年)

チェッカーズ最大の大ヒット曲であり、社会現象となった一曲です。 50年代のアメリカン・ポップスを意識した軽快なリズムと、失恋した男の子の心情を描いた歌詞が絶妙にマッチする曲です。サビの振り付けを真似する子供たちが街中に溢れました。

この曲の大ヒットにより彼らは一躍スターダムにのし上がり、有名になっていきました。

ジュリアに傷心(ハートブレイク)(1984年)

「涙のリクエスト」に続く大ヒットナンバー。より都会的で洗練されたロックンロールサウンドと、フミヤさんのセクシーな歌声が特徴です。イントロのギターリフとサックスの絡みは、今聴いても鳥肌が立つほどのかっこよさです。 1985年のオリコン年間チャート1位を獲得しました。

現在でも「あなたの番です」というドラマでも使用され、一時注目を集めました。

メンバーの現在

解散から30年以上が経ち、存命のメンバー6人はそれぞれの道を歩んでいます。藤井フミヤさんは、ソロアーティストとして不動の地位を築き、「TRUE LOVE」などのミリオンヒットも飛ばしました。現在も精力的にライブ活動を行い、変わらぬ歌声を届けています。

弟の藤井尚之さんも、サックスプレイヤーやソロミュージシャンとして活躍し、兄とのユニット「F-BLOOD」でも活動しています。

他のメンバーも精力的に活動中

ベースの大土井裕二さんは、様々なアーティストのサポートや自身のライブ活動をマイペースに行っています。リーダーだった武内享さんは、音楽プロデューサーやDJとして、音楽業界の裏方やイベントなどでその手腕を発揮しています。

一方、確執の当事者と言われた高杢禎彦さんは、タレントや俳優として活動し、ワイドショーのコメンテーターを務めたこともありました。 鶴久政治さんは、作曲家として他のアーティストに楽曲提供を行ったり、音楽プロデューサーとして活動したりしています。

まとめ

チェッカーズの解散理由やメンバーの死、そして名曲について解説しました。再結成が叶わないことは寂しいですが、彼らが残した音楽や映像作品は、いつでも私たちをあの熱かった80年代へと連れて行ってくれます。 確執や悲しい別れがあったとしても、7人が作り上げたステージの熱狂が嘘になるわけではありません。 これからもチェッカーズの楽曲は、多くの人々に愛され続けていくことでしょうね。